対向サインの学び6・乙女座と魚座

対向サインの学びについて
乙女座と魚座の対比というところで考察を進めます。

地と水の組み合わせなので、行動力と精神性、
具体性か抽象性かと言った対比になります。

分かりづらいように思えますが、この二つが対極なのはなぜでしょう??

乙女座

乙女座

乙女座というと前半部分の最終サイン。

ここでは「社会」に出る一歩手前なので、
社会に出るために自らを「調整」します。

乙女座も魚座も目的は「調整」ですが、ここでは「自分」にベクトルを向けて
社会に出るのに相応しい実力や素養を身につけて
自分の身の回りの世界に対して「奉仕」をしていきます。

ここでフォーカスされるのは「私の世界」でしょうか。
乙女座は「日常の世界の支配者」。

毎日のルーティンの中で仕事して食事して、そうしたルーティンを形成して
仕事の仕方や健康の調整法を構築するのです。

社会に出るための最終調整の意味合いもあって
物理的な事象においてはきめ細かい分析や検証、検品を行います。

品行方正で几帳面、完璧主義はここからくるのでしょう。

社会に出る前の「調整」という意味合いもあってか
一歩引いた性格で気配りや心遣いといった素養があり
社会に役に立つ人間として勤勉にスキルを学び、
時に自分の身を犠牲にして、社会に役に立つために「奉仕」をする。
ルーラーの水星が合理的な知性と洞察力、分析力を寄与します。

社会から与えられた役割をこなすための管理能力、実務力に優れる。

自分がコントロールできない「与えられた仕事」「健康」に関する調整力も優れる傾向。
細かいところまで気配りが効いて痒いところまで手が届く調整力はとても頼られます。

ネックは几帳面さが故に完璧主義に陥ってしまったり、
細かいところまで見すぎて他者のミスが許せないこと。

自己肯定感の低下に陥ることもしばしばあり、一歩引く性格が災いして卑屈になったり
従属が行き過ぎたりする事も。

どんな形であれ、眼に見えるものの「調整」を重視する傾向があると言って良いでしょう。

魚座

魚座

対する魚座というのは後半部分最後のサインにして
黄道十二宮の最後のサイン。

ここでは新たな自我に目覚めようとするために
社会での役割、これまでの旅路を収束させて
完結させるために「調整」しようとします。

魚座も「奉仕」をしますが、ここでは「あなたたちの世界」とでも言いましょうか。
魚座は「非日常の世界の支配者」。

乙女座が「私の世界」における目に見える範囲でとどまっていた奉仕を
魚座は周りの困っている人、あるいは動物や自然環境といった
抽象的で際限ない対象に対して慈悲心のままに「奉仕」をする。

乙女座では自分に向かっていたベクトルが、魚座では他に向かう。

ベクトルが他者に向かうための「自己犠牲」。
無性の愛のままイエスキリストの如く奉仕しようとするのです。

ルーラーである海王星の影響もあって
新たな自我(牡羊座意識)の発芽のために何が必要か?
ということで「夢」を見るのです。

そのために見えない世界に身を委ねたり、スピリチュアリティという
見える世界になかった感性を取り入れようとします。

直感的でミステリアスでありロマンティック、際限なき空想の世界というのが展開されるので、
漫画や映画を著述するアーティストにありがちな傾向。

アーティスティックな面があり、
どちらかというとレガシー、クラシックなものの空気感を好むタイプ。
霊的な伝統を大事にする一面もあります。

魚座ということで水サインなので「聖域」を作りますが
聖域を作る対象が際限なく、なんでも良いという感じ。

人種や肌、思想、生物、あるいは生きているかそうでないかの枠組みすら超えている。

過去か未来かのタイムラインも問わないでしょう。

様々なものと水で溶け込んで「統合」しようとします。
ネックでいうと、世離れしているタイプも少なくなく迷いや混乱も多い、
アルコールや娯楽で現実逃避する傾向があるということ。
潔癖で嫌う乙女座に対して嘘も辞さないのがこのサイン。

「良く見せる」ということは嘘をつく事もありつかれることもあるということ。
現実感がなさすぎてとても実体を掴みにくい。

水のように周りの水に取り込まれて流されるタイプで
他者と自分の境界線、理想と現実の境界線が見えていない。

結果として誤った道に行ってしまうことも。
最後のサインということで「独特の重さ」があります。

誰かが始めたものであったり、新たなサイクルに向けて
「何かを終わらせる」という「調整」をするのが宿命づけられたところがありますが
逃避してしまうのは、その重責に耐えられないからかもしれません。

「何かを終わらせる」というのは重すぎるし、とてつもないエネルギーを消耗するもの。

だから逃げたくなる。お酒であるとか遊びであるとか。
何かを終わらせて新たなサイクルを目の当たりにする側面からも

ある意味「神」に一番近い存在。
「何かを終わらせる」役目があり、たとえ面倒ごとであってもどんな形でも全うするでしょう。

乙女座と魚座の対比

乙女座と魚座

私の世界:皆の世界
という違いがあり、

どちらも奉仕のサインではありますが、やはりベクトルが異なります。
乙女座が社会に出る一歩前の世界で、魚座が個人の世界に行く一歩前の社会の世界。

前半部分が自分にベクトルが向きがちで、
後半部分が自分以外の他人に向きがちなところがあります。

私が気に入らないから調整・整理するのが乙女座
皆が気に入らないから調整・整理するのが魚座

だから世界の皆であるとか、動物や植物、鉱物にベクトルが向かうような感じ。
自分の身の回りにある世界を整理する乙女座。「私の世界」だから自分の目の届く範囲にとどまる。

乙女座の「調整」だけでは「型を守る」だけに終わってしまい
そこに心が欠けている。現実、物質世界に束縛される一方だから
中身のないものになってしまいがち。

秩序や規律に基づく生き方だけでは「本質」は見えてきません。
目に見える範囲においても「調整」においては

「本質とは何か」を求めて既存の枠組みから外れていく必要があります。
知性よりも感覚、本能の声に従うことが必要になってくるため、

本能の声に従うとなると、異端とも思えるかもしれませんが、
本能と理性の5:5の統合が望まれるところ。

「目に見えるものだけが真実じゃない」というのを知るのがテーマとも言える。
ゆえに「心」に重きを置く魚座の「調整」のあり方が学びと言えるでしょう。

一方で魚座は枠がなさすぎるがゆえに目的が曖昧になりがちです。
自分と他人の境界線が見えずに自己犠牲や困惑が目立っても生きていけない。

乙女座の「調整」のように、ある程度は「型」を守ること、
基準を設けて整理していく、目に見える範囲のものも「調整」していく、
その大事さに気づくでしょう。

夢や感性に優れているのは大事ですが、それを地に足つけて行動して表現、形にしなくては
その夢はあくまで夢でしかないものに終わってしまう。
抽象的・直感的な魚座に、構造性や整理力に優れた乙女座の性質が加わると
芸術やスピリチュアルな世界観を具体的な形として表現できるようになるでしょう。

繊細な感受性と、具体化するための技術や分析力が融合し、
クリエイティブな表現にリアリティと説得力が宿るようになる。

イメージを現実に変える才能を花開かせるために
乙女座の物的調整力が必要になるのです。

総括

魚座

同じ「調整」でも全くベクトルの異なる乙女座と魚座。
本能と理性の統合。

片方だけでは成立し得ないことが、もう片側との邂逅で可能性が増える。
これが「マジック」というものでしょう。

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