月ー冥王星0度は生きるか死ぬかな壮絶な体験をしないと生きた実感が湧かない??

冥王星は何事も徹底してやらせる、10惑星最恐の星。
それが時に生命の危機に関わることもあります。

月と絡むと日常生活において、その影響が出ます。

何事も徹底しないと気が済まないので
スリルを追い求めることにな繋がる。

一部の界隈では危険視されるアスペクトとも言われる
月ー冥王星0度について。

月ー冥王星0度(コンジャンクション)について

冥王星

月ー冥王星0度の主な解釈について。

非常に感情的で極度な浮き沈みが大きく、極端な意志表示をする傾向。
常にドラスティックで、上手い具合クリエイティブに表現されないと問題になることも。
またプライドが高く、人間関係の絆を破るケースも少なくないながらも
人を惹きつける魅力があることが特徴。
極度なまでの行動方針により、新境地を開拓する能力に優れ、
その時々に応じライフスタイルを大幅に変更します。
男性は自分と同じように支配力のある配偶者を求める傾向。

冥王星が0か100かの性質であるということを考えると、
そして月が日常生活を示すわけですから、
このハードさ加減を日常生活に持ち込むわけですね。

冥王星は強力なパワーで関わった事象をコントロールしようとします。
そのために「権力」「支配」「カリスマ」といった意味合いが出てきます。

スーパーパワーを使ってコントロールしようとするわけですね。

0か100のどちらにもならない中途半端な状態は
思い通りにならないということで、とても退屈になり、ストレスが溜まるでしょう。

退屈すぎる日常の心理状態が続くと魂の抜け殻のようになります。

そのためこうしたアスペクトを持つ人は、時折リフレッシュのために
極端な感情状態を味わうことで、自らが生きていることを自己確認し、
性格が活発になるのを確認する必要があるのです。

多くの人がパニックになるような事態はこの人にとって美味しいエサでしかない。
急に何かに目覚めたように楽しむのです。

生きるか死ぬかのスリルを味わう人生

すでに何度か特集を取り上げたように私自身が
月ー冥王星が7.35度くらいの差でコンジャンクションになっています。

人によってはもっと度数の差が少ないことで0度と見做していると思いますが
一応これを0度と見做して話を進めます。

7度近くも離れているので、毎日スリルを求めるという意味で
そんなに極端ではないですが、ある時スイッチが入ったように
「生か死か」という世界に踏み入れることもありました。

普段の会社の仕事で何も起きない時は本当に退屈で仕方ないので
常にコーヒーを飲んで刺激を取っていました。

全盛期は1日に10杯以上は飲んでいたんじゃないですかね。

だけどもそれくらい「退屈な日々」というのは
私にとって「生きている」という実感が全く無かったのです。

自分に生命のガソリンをたくさん投入して感情が晴れやかになって、

ようやく「生きている」という実感を得ることになる。

何もない日常でぼーっとしてしまう事が圧倒的に多く、
極端な感情状態を自らのエサにすることが必要でした。

それがかつて行った21日間の断食であったり、
あるいはコーヒーを1日10杯以上飲むことであったり…。

そして果てまたは高い授業料を払って起業塾に飛び込んだり。

私に取って日常生活が退屈なのは耐えられなかった、と言ってもいいかもしれません。
冥王星の示すように、実際に生命活動に支障が出そうな時がありました。

雪山を登山していて崖から落ちそうになったり、
ヒートショックで倒れてしまったり、日々過酷な労働で心身をおかしくしてしまったり、
ブラック企業に勤めていた時に命を絶とうとしたり…。

そのたびに這い上がって、「別の何か」として生まれ変わったかのように帰って来ました。

学校や会社などで、何かと危険人物扱いされることも多かったのですが
こうした「退屈な日常を嫌うために劇薬を好む」性格が
災いしたのかもしれないですね。

また月が母親を示すということもあれば、母親の性質がこれに近い人、ということになる。
幼少期に見た母親は感情の起伏が激しい人に見えて
タイミングを間違うと激しく怒られる。

そのため話しかけるタイミングをすごく気を遣いながらやっていたのを覚えていますね…。

そういう意味でも「生き辛い」幼少期でした。
そういうこともあって普段は「0」の状態で日常を過ごしていて
何かあった時に急に「100」になるのかもしれません。

危険視されるアスペクトとも言われることもあり、
法を破るような極端な行動に走らなかったのは幸いと言えます。

今ではこれを個性だと捉えています。
おかげ様で0か100かじゃないと嫌うくらいスッキリできるので。

このアスペクトをどう使うか

自分の思い通りにならない日常が気に入らず、
平々凡々で何も起きないとそのまま社会の歯車で終わりかねないであろう

このアスペクトをどのように扱うか。

冥王星は「王」の星であることからも
「王」のエネルギーが流れていることからも
扱うエネルギーも大きく、そして何らかの形で
「王国」を築き上げる必要性があるのでないか、とみます。

冥王星というのは集合意識をコントロールする強大なエネルギー。
新たな集合意識を生み出すということも可能になるでしょう。

破壊と再生のエネルギーを持ちます。

一度「アイデンティティとして投げ捨てるべき場所」で力を発揮するのでないか。
生まれ変わる以外の余地が残されていない場所、
アイデンティティを生まれ変わらせる必要がある人とのコラボなど。

そういうケースが一番イキイキして活動できるのでしょう。
そして再生の人生を求め集まるものたちのための「世界樹」を作るのです。

中途半端なケースであれば、「感情」にブレーキをかけてしまうから
本来の力を発揮することが叶わない。

「生まれ変わる必要があるエネルギー」の影響があるからこそ
このアスペクトは生きるのではないだろうか?

総括

月ー冥王星0度

月ー冥王星0度のアスペクトだと生きるか死ぬかの体験をしないと
自らが生きた実感が湧かないくらい、何かとスリルを味わいたがる方面を形成します。

死の淵に追い詰められて、そこから生き返ることで大きな成長を遂げると言えます。

冥王星が絡むと何事も中途半端にできません。
人間的な観点での善悪を無視することもあります。

金星ー冥王星ならスリルのある趣味や愛情を味わおうとするだろう。

この0か100かのエネルギーを使うも使わないも自由。
しかしせっかく持ち合わせているのなら
生産的なことに使わない手はないのではないでしょうか?

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