なぜ木星が来ているのに「幸運」にならないのか

トランジットで木星が来ているのに「幸運」と感じない事例を
いくつか聞いています。

なぜ木星は「幸運」を呼び寄せないのだろう?
正当なる努力をしないから??

チャンスが来ているがそれを「幸運」と受け取ってない
幸運と限らない、やることが増えるだけということも
「自分の太陽星座が双子座だから双子座木星はラッキーシーズンだ」

的な解釈をされた方もいましたが、実際には
「もっと幸運があってもいいのになー」と言っていて幸薄そうな感じだった。

木星が「幸運の星」という言い方は語弊があると思うので考察しています。

なぜ幸運が来ない?じゃあ木星が何をしているのだろう?

木星

あなたの前に「木星が来てるのに幸せにならない」
「そろそろ幸せになってもいいのに」っていう人がいたらどうする?
そもそも「あなたを幸運にする」と約束してる?

考えられる原因を以下3つで。

1・土星など、他の感受点にやられている。

土星

特に土星、天王星以降のトランスサタニアン。
マレフィックの亜種としてリリスなどというのもある。

実際にリリスに絡まれたことによって暗黒面を見させられているという事例もありました。
どんなに木星のトランジットが良い配置であっても、
同時に土星がハードアスペクトを形成していれば
「現実的制限」や「自己不信」に苛まれることで
「木星が来ているのに何で?」となりかねないのではと考えます。

冥王星からの「破壊と再生」のプレッシャーは
木星がもたらす「拡大」に伴って
強制的に「執着を手放させる」圧を生むこともあるでしょう。

ブラックムーンリリスは、無意識の影や社会からの疎外感を引き出し
せっかくの木星効果を「私はそれを受け取っていい存在なのか?」

という自問によってブロックしてしまいかねません。

こういったマレフィックの存在の圧により、木星の拡大がかえってプレッシャーに?

そういったことが「12年に1度の幸運期」を阻んでいる可能性があります。

2・木星が「幸運の星」であるというのが人間レベルの解釈でしかない。

木星

木星がもたらすのは「拡大」「慈悲」。実際には「幸運」でなく
神々のような心の広さをもたらす。

類稀なる慈悲深さの結果、「幸運」を享受できるのであって。

そしてすでに木星は「与えている」。
木星は社会天体なので、社会で自分の可能性を拡大する機会をもたらします。

人によっては「なんか知らないけど仕事がたくさんある…」
と感じるかもしれませんが。

与えられたことというのは、ちゃんとこなせば
社会で認められるチャンスだったりする。

そのことに気づけていないのでは???

そう考えると木星の本質は「拡大」「学びなどによる精神性成長のチャンス」
と言えるでしょう。

木星の影響を受けとる人の意識が未熟であれば
「自信過剰」「浪費」「スケジュール過密」という形で表れる可能性もあるでしょう。
今起きていることを「幸運」と感じられるかどうかは、本人の視点(世界観)と準備次第。

例えば木星がMCに来たとき、「仕事の機会が増えすぎてパンク」「社交の依頼が止まらない」など
「負荷」のように感じてしまうケースもあるとされます。

しかしそれは「社会的認知の拡大」という意味での恩恵であり、
本人の器次第でチャンスになりうるわけです。

3・木星による「ハイレベルな学び」

木星

そして、木星は「幸運」の星であるが
「臨時収入が入ってくる」「お金を浪費しない」とは言っていません。

チャンスがあればそれを掴み取るためにお金を使うことも辞さなくなるでしょう。

実際に私の知っている方でも、木星が入っている時期に
高額セミナーに行くことを余儀なくされた方もいました。

経済的に余裕ができたと思いきや、そのお金を使って
高額な学び・旅・投資をする羽目になり、
痛々しい出費のように思えたり、「得たはずの幸運をすぐに使い切る」感覚に陥っていたり?

トランジット木星が来ているというのは、射手座が来ているようなもの。
射手座というのは海外であるとか高尚な精神力、専門的な学問を示すサイン。

トランジットで木星が来ているとすると
「高尚な精神力」「専門的学問」と言った要素を得るために
ブーストされているだけにすぎないのでは?

木星の影響があるという事は、さらに人生のステージの段階を上げるような、
精神性向上の機会とも取れるでしょう。

社会で発展する可能性の入口を示してくれますが、
その入口に入るかは当人の自由意志によるもの。

「人生の発展のための課題を与える惑星」というのが正しいのでないでしょうかね。

ケーススタディ

木星

射手座木星が2019年1月25日〜10月3日くらい、太陽に絡まれていました。

太陽星座との合致による、「12年に1度の幸運期」を満喫していたはず。
この時期は特に「幸運」と思えるような事はなかった記憶。

ちょうどブラック企業や起業塾を辞めて1年経った後のこと。

あれから「意識高い系」から足を洗って、
起業塾で出費した多額の損失を取り戻すために
真面目に会社に行って働いていました。

500人いた「友達」が全部消失して、残ったのは身近な関係性の人だけ。
会社と家を往復するばかりの日々で、
貯金はできていたけども、退屈な時間の方が多かった記憶ですね。

特に何か「学び」をしたわけでもなかったし。

強いて言えばヒーリングを受けたくらいか。
マインドリージョン、オーリックリージョンと長期セッションを受けさせてもらって

心身の浄化にこの1年かけて努めていたこと。
起業塾時代の人間関係の失敗とか、同じ轍を踏みたくないので
除霊のおまじない的な感じでヒーリングを
その年はほぼ毎月受けていたのを覚えています。

起業塾のような意識高い系から足を洗って人間関係の面倒さがなくなり
家族や親しい同僚や知人と酒を飲んだりご飯食べたり、
家と会社を往復するだけで退屈な日々であったが、
現状忙しい今を思えば、ささやかな「幸運」だったのかもしれません。

結果として物質的にも貯金ができたことが、
今後の「学び」のためのガソリンとなり、内的充実をもたらせたことが、
現在の活動における精神的素養の基盤構築になったのでないかとみています。

総括

木星

なぜ木星が来ているのに“幸運”と感じないのか?
「木星=無条件の幸運」でないと考えます。

これは占星術を結構知っている人の嘆きだったので
気になって調べてみました。

知っているからこそ陥りやすいのかもしれません。

しかし木星が終わった後を振り返ってみると
「何が何だかわからないが、あの経験が自分を広げた」

「人間関係の拡充」「能力の開花」の期間を「幸運」として認識できなかったとか
後々、そういう実感があるのでないか?

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