「コンプレックスに感じる」ってのは
惑星的にどういうことなのか。
普段から使ってないってこと??
私がアストロロジー教わった時は
「人は太陽星座の性質を伝えると嫌がるから、月から教えるように」と。
生まれた時のサインでありながら、
そんなにも太陽って嫌がる要因があるのか、と思いましたね。
いわゆる太陽コンプレックスとでも言いましょうか。
そこを掘り下げてやっていこうと思います。
もくじ
太陽を掘り下げられることに抵抗があるとしたら?

例えば太陽獅子座といえば、太陽が一番強い箇所で
獅子座のルーラーなわけなので
獅子座に生まれた場合であれば、無条件で太陽が一番強い惑星…、ということになりますが。
創造性があって皆の「太陽」で、とても明るい、
というのが獅子座としての主な見方になるでしょう。
しかし獅子座に生まれたからといって皆が一様に
「太陽」が一番強くて、そこがフォーカスされているわけでもない、
むしろ「太陽」を忌み嫌うケースのようなこともあるでしょう。
①太陽のアスペクトは?獅子座はディスポジターツリーに関わっているか?
例えばディスポジターの考え方においても
獅子座サインに入っている惑星は太陽一つしかないから
惑星が太陽と関わるディスポジターツリーに一切関わりのない場合もある。
その場合は太陽が孤立していて、
人生の方向性を単独で意志決定する傾向にあると言ってもいい。
もしこのツリーに何もないと太陽のアスペクトが関わっていない可能性もあり、
太陽にアスペクトがないと、中々主体性を持てなかったりするし、
人生の方向性というのが見えづらい可能性というものがあります。
②25歳未満の場合は「太陽」を意識するのが難しい
太陽期というのは年齢域でいうと25歳過ぎてからになります。
それまでの間というのは「太陽」、つまり自分の人生の輝く方向性、というのを
全く意識しないまま育つのです。
太陽を意識するのが25歳過ぎてからになるので無理からぬことです。
太陽より前の年齢域の金星や水星あたりに太陽がアスペクトで絡んでいると
太陽のことを意識する機会はあるのでしょうが
多くの場合は太陽を意識する間もないのも、やむを得ないもの。
「本当のあなたはこうだ」と太陽を差し示して言われても
普段の生活で「太陽」を使っていないと
人というのはどうしても抵抗をしてしまいます。
四半世紀生きていない段階の人には自分の「太陽」を受け入れるのは
なかなかに辛いことだったりするのです。
③太陽と土星などのハードアスペクト
火星や土星などのマレフィックが90度など
ハードなアスペクト、オーブがもっと狭い度数で形成していると
人生の方向性を主張するたびに方向転換したり、
自分で知らず知らずのうちにブレーキをかけたり、と
太陽を使おうとする時に支離滅裂な印象を与えること。
ハンドルが非常にクセのある自動車を運転するようなもの。
太陽を使うとあらぬ方向に行ってしまう、
というのを心身が覚えているから「太陽」に対してコンプレックスを感じてしまう、
という可能性もあります。
ケーススタディ・「変わり者」の自分がイヤだった四半世紀時代
私は子供の頃から「変わったやつ」と見られていて、
奇異の目で見られることを、非常に嫌っていました。
珍しい名前だし、何か目立つとすぐ悪目立ちしてしまう。
だから学生の頃より、なるべく目立たないべくして行動していたのを覚えています。
目立たないようにしても、隠しきれなかった場面が圧倒的に多かったですけどね…。
私の場合は太陽ー天王星0度で、かなりタイトな度数で0度になっているので
何かしら方向性を決めるにあたって、「いつもと同じ味」
と言うことが全くできない。予測がつかないびっくり箱的な行動をする。
天王星なので、誰もが思いつかないヒラメキや考え方を人生にもたらします。
爆発力がすごいのが天王星。
天王星は時として奇想天外な行動を誘発し、予定調和を壊していくので
周りの人を驚かせることばかりをします。
天王星はマレフィックとして有名で、例えば4ハウスであれば急に家庭が分散したり
あるいは自分の持っている土地を手放すことになったり
家族以外の人間が出入りすることもあったり
予測がつかない事態を引き起こすが、現状を変える才能を寄与する天意をもたらす惑星。
天空神ウラヌスのエネルギーというのは、地上世界では決して見えない天空からの視点で
社会通念の矛盾を突いて、新たな世界を見出そうとするエネルギーを寄与します。
人生において「なぜそれを選んだ?」と思われることばかりであったでしょう。
土星という社会通念の世界から一歩離れて、自分の社会を構築するのがこのアスペクト。
社会通念に囚われないアイデアを見出し、新たなる『王』としてのあり方を構築するのが太陽ー天王星。
そしてその世界に必要なものを招き入れるのです。
公転周期の遅い惑星の方が強いので、太陽より天王星の方が影響力が強いです。
ですから人生の方向性を決める、進むにあたって
必ず天王星の影響を受けてきました。
私はそれこそ太陽期になるまでは「普通」でありたい、と思っていました。
「自分はなんで周りの人と違うんだろう」
ということが、ず〜〜っと気になっていましたし、
それをコンプレックスと思っていました。
太陽を意識するようになるのは25歳以降。
なのでコンプレックスに感じて、使えなくて当然だと思った。
人と変わったことをするのがコンプレックスだと長年思っていました。
周りに変だと思われる、自分の行動の変なパターンが嫌だなと、ずっと思っていた。
おそらく私がその当時にアストロロジーを受けていたら
太陽を指摘されたら絶対に聞き入れることはなかっただろう。
ともかく、変わったヤツだって思われるのがイヤだったんですね。若かりし頃は。
太陽に併設した天王星のエネルギーを忌避していたとも言えます。
だんだん「これでもいいや」と思えるようになったのは25歳以降のことでした。
私の場合で言うと太陽が火サイン、月が水サインなので
自分の行動に火がついたが、時折それを消火したくなる傾向を見せます。
これが火、風の組み合わせなら情緒関係なしに勢いのままに進められたのですが。
所々不便だなというのは所々感じていました。
今思えば、水の情感がないと、人の話を聞くとか、受け入れる、
カウンセラーじみたことが出来なかっただろうし
ありがたい性質と思いますけどね。
赤と青の異なる性質でアクセルとブレーキをうまく使う。
数多の試練を乗り切ったからそう思えるだけかもしれませんが。
太陽―天王星0度をうまく使っていく。ちょっとしたひらめきで壁を壊していく。
周りもびっくりするだろうが、それが世界を変えることにもつながるわけなので。
太陽に寄与された才能を生かさない手はない、と言うことになるのです。
総括

太陽について忌避する要素というのは、
苦手な惑星が太陽にこびりついていたり、
かなりきついくっつきかただったり、様々な要因があります。
自分の太陽に対してどう向き合っていくか。
そこから逃げてしまったら、またどこかで向き合わねばならない。
「自分がどこを目指しているのか?」
そこから目を背けてはなりません。