会社でも学校でも、あるいは何らかのワークで
同じチームで仕事をしていると、
一定数で仲間内で「変」と思われている人が
少なからずいるのでないかと考えます。
仲間意識、ルール意識からズレているが、
それでも仲間はずれにして波風立たせたくないー
そうした思いもあることから
この世界において「変」と思しき人と関わるのが
一番大変なことでないかと考えます。
「変」と言われる人は、何故どう「変」なのか、考察していきましょう。
もくじ
そもそもの「変」という定義について

世の中でいう「変」という定義があると思うのですが。
何を持って「変」か?って言うと。
そもそも「枠組み」というのがベースで
そこから外れるか否か、というのがあるわけですね。
集団意識(蟹座)、ルール意識(山羊座)
これらがベースで「普通」という意識が組まれます。
村社会とかってよくありますよね。
村という集団意識があって、そこから外れたものに対して
「村八分」にするというものがあったり、
あるいは「村意識」というものがあって
お互いを監視するような社会が作られる。
あの家の人間はよそ者を招き入れた、というような
「普通」の意識から外れたらそれを逐次報告するような感じだったり。
そうした大衆意識(月)、ルール意識(土星)から外れたものを
変(天王星)というのでないのかと考えます。
自分の中の土星か、あるいは所属する組織や社会におけるそれらか。
そのどれかの「土星」という基準から外れたものが「変」と認知される、
異端者認定される、ということ。
水瓶座サインか、天王星の個人天体の関わり方

何を持ってその人を「変」な人にしたか。
ここまでの流れで答えで言うと、
・水瓶座サインがネイタルの中でどれだけ占めているか?
・天王星が個人天体とどれだけ関わっているか?(特に太陽や月)
であると言えるでしょう。
天王星は水瓶座のルーラーで、土星意識より先の世界の話であるし、
世相など常識からの「分離」を試みようとします。
水瓶座サインの性質が強いほど、社会通念から外れた、
他者と違うことをよしとしようとすること、
ちょっと変わったことをしてみようと言う意志が強くなります。
しかし土星意識までの世界というのは「人間」が勝手にルーラーになって
ルールを作って持ち込んだもの。
宇宙には元々ルール意識などないし、人間が作ったルールは完璧ではない、必ずどこかに「不備」がある。
宇宙意識で見ると、そもそもルールがあるのがおかしく、
不備のあるルールなんてのはもっとおかしいものになります。
そのルールが自由意志を剥奪して不便なものだから「おかしい」と声を上げるわけですね。
そのように水瓶座も天王星も「人間の意志」から外れようとする思惑があるので
「宇宙意志」というのに従っているわけだから
ある意味ではあるが「変だけど、とってもまとも」ということだったりする、
というちょっとおかしな感じの結論になる、というところ。
水瓶座も民主主義の星座なのに、蟹座の民主主義とどう違うのか?

蟹座と水瓶座、どちらも「民主主義」的なとこあるんだけど、
大衆が求めるものを作る、土地や縁起に愛着があるのが蟹座で
思想や理想で繋がって、民衆のためになると思って未来志向を持って繋がるのが水瓶座。
蟹座は「愛着」で繋がる、水瓶座は「考え方」で繋がる
蟹座は愛着があるから離れない感じだが
水瓶座は土地にこだわりがないから離れるのも辞さない
という民主主義の違い。
水瓶座は合理性を持って時に冷徹にすらなる、社会通念にないものを作りだす。
蟹座は社会通念の延長線上の存在になろうとし、
身内以外でなければ無関心や冷徹にならない。
「変」な存在は確かに平常運用させたい組織や家族生活においては
異端であるし、まるで異物の存在に思えるかもしれません。
しかしいつの時代も時代を先取りしているのは「変」な存在だったりする、
というのもまた事実でしょう。
アインシュタイン然り、ライト兄弟然り。
枠組みを超えないと新たな世界が見えないのも確かです。
「変」というと聞こえは悪い感じですが
「変わる」必要はあるのは確かですよね。
ケーススタディ・「変」さをどこまで許容できるか?

私自身が太陽ー天王星0度がかなりタイトなので
様々なパターンでの「変」な人に巡り合ってきました。
変人は変人と引き合うというのかね…。
私が知っている中でも「誰が見ても変な人」がいて。
知り合いの誰に聞いても「変と言える人」。
その人のチャートをコッソリ覗いたことがあるが
水瓶座新月生まれで太陽・月が天王星と180度。
水瓶座ですら社会通念から離れようとするのに
そのルーラーである天王星が関わるとなると…。
太陽と月が180度なので度を越して
「私は変です」というのをアプローチしようとするでしょう。
180度なので、その性質がオーバーアクションで他人が見てもわかるレベルになります。
水瓶座の太陽や月を天王星が180度引っ張るとなると…
そうなると、言い逃れができないくらいの変人になるしかないだろう。
太陽と月がハードなので、
やたらと筆舌に尽くし難い幼少期だったというのは想像に難くない。
確かにその人の言ってることはいちいち宇宙哲学的で、
常人では到底理解し得ぬことを仰せになられている。
水瓶座的な意志が天王星により強調されているというのは
「人間の意志」におけるアラ探しがとても得意と言えばそうかもしれない。
どうしれば「良い変な人」になれる?

ただ、「変」というだけでもいろんな人がいます。
「変」だけど、それゆえに愛される人もいるし、
「変」すぎるゆえに嫌われる人。
前者の人は天王星が緩い感じ、後者の人は天王星がハードな感じの傾向があると考えます。
社会通念から外れるにしても、未来志向なのが水瓶座(天王星)の良いところ。
「皆の意志」を汲んで、「こうすれば皆の未来がもっと良くなる」
というようなことをするのが「愛される変な人」、
未来が良くなるでなく、単に今目の前のことに文句を言うだけで
結果として現体制の犬のようになっていると
やっかみを受ける、と言うような感じなのかもしれない、
今までの天王星アスペクトに悩まされる人を見ていると。
いかに皆が良い未来を創造できるような「空気を読める」かが大事なのかもしれない。
総括

色々話を聞かせてもらう中でも、いくら「変」でも良いといっても
「超えてはいけないライン」ってあると思うので。
「他人の選択の自由を奪わない」
「他人に危害を加えない」
というところは基本線として守っていきましょう。
「変な人」と折り合いをつけるのはとても難しいもの。
おそらくこの世界で一番難しいことかもしれません。