年齢期考察9。85歳~没前の海王星期に育てる「海王星」意識。

85歳以降から天に召されるまで続く海王星期。
生きているのかそれとも天に召されているのか、
それすらの境界線が溶けており、判別がつかなくなるような時期。

精神的活力と時代の流行を先読みする先見性をもたらす海王星。
普段使うには手に余る優れたエネルギーを持つこの惑星は
翻弄するためか、それとも次の輪廻転生の準備を兼ねているのか?

どちらも違うかもしれないし、両方かもしれません。
そういった具合に、人生の終端手前まで影響を与えます。

「見えない世界」など、現世以外の世界とのコネクションを持つ「海王星期」

海王星期

海王星

年代:晩年期
発達年齢領域:85〜没まで
公転周期:約165年
象意:流行、お金の価値観、ヴィジョン
生命の樹:1 ケテル(王冠)

カバラ、生命の樹における海王星というのはケテル(王冠)。

永遠に宇宙を創造し、維持する神の意志。
このケテル、王冠が自らの理想であり、人生の王になるべく獲得すべき「王冠」であります。

「王冠」というのは手につかめないもの。
「王国(マルクート)からケテルの様相は一切わからない。

ただ、「王国」に顕現されるのは、元を辿ると「ケテル」に
実体のないものとして君臨します。

海王星の示すのは「夢」「理想」。

海王星の描く夢や理想というのが、
王国を生きる私たちが目指してきたあり方であり
また「上の如く下も然り」であることから。

自らの「王国」がカオスで蔓延るのであれば、元を正せば
自らが描く「王冠」がカオスで悪いのだと。

カバラの旅では、各セフィロトを修復して、
最後に「ケテル(王冠)」に辿り着くわけですね。

海王星のエネルギーを意識的に使えるようになるのは85歳以降。
この時期になってようやく「神の意志」に従って生きていけたか?

それを振り返る時間も用意されている、
海王星をようやく意識できる、ということでありませんかね。

この年代になるともはや様々な病を患っている可能性があり
見舞いに来てくれた家族のことすら忘れ、
現実と理想の世界の境目も曖昧になっている。

常に「見えない世界とのコネクションを図っている」というべきでしょうか。
海王星の発達する85歳以上なると睡眠時間が9時間以上、
というのが総務省のデータに上がっています。

海王星のエネルギーというのは自分の意識でコントロールできない強力な力、
寝ているときや、夢見ている時のように我を失った状態になります。

もはや現実と夢の世界の区別がついていない、
この時期を生きる人に「寝たきり」が多めなのは
常に「見えない世界」とのコネクションを取ろうとしているから、
というのが図式でないでしょうか。

この世界にいられる残り時間が迫ってきており、
これまでの人生の振り返りのようなことをします。

夢を見る、というのは次のサイクルに向けての調整。
次は何をするか?というのを思い描いていくような時期。

第三次サターンリターン、第二次キロンリターン

土星

「人生100年」という時代であれば、87歳前後くらいに第三次サターンリターン、
100歳前後に第二次キロンリターンが訪れます。

第三次サターンリターンにおいても収縮、ライフサイクルの変換を余儀なくされます。
社会のゴールに向けて、残りのサイクルを立ち回るために
第二次サターンリターンがありました。

このサターンリターンでは、自宅での介護でなく施設に行くなど大往生のための準備、
そして新たな輪廻転生に向けたライフサイクルの変更か?

それとも「老いてもなお盛ん」と言わんばかりに
またもや社会的デビューを果たすための準備なのか?

フィジカル的に問題がなければ
新たに「夢」を実現する人もいるかもしれない。
土星と海王星であれば、海王星の方がエネルギーが強い。

土星の世界で表現の限界があるが、
海王星のエネルギーによってプロデュース力が向上する、
時代を先取りして人々が求めるヴィジョンとして演じさせる、など。

かつての金さん銀さんのように
100歳過ぎて生きるくらいの長寿の人生だったり、
三浦雄一郎さんみたいにいつまでも夢を追い続けたり。

そうなれば人生が終わるまで、この世界というのは
その人にとって「夢を叶えるための舞台装置」なのです。

海王星という強力すぎるエネルギーを感じるのは
現実と理想の境目がつかなくなりづらくなる
年齢的にもこの世界にいられる残り時間少ないタイミングになるところ。

生きている間に全ての惑星のエネルギーを感じることができるだろうか。

総括

海王星

周りの人には奇行にしか映らないだろうが
その人にしか見えない「見えない世界」とのコネクションを繋いで
何らかのアクションをとっている、とも取れるのでないでしょうか。

一見すると奇行とも取れる「寝たきり」のようなものなどは
今世における「神の意志」をどれだけ実践したか、その確認をとっているのでないか。

フラフラになりながら「何が王冠か」を感じ取ろうとしているのでないか?
その「神の意志」をまだ実現できていない、と認知している者が
長寿になってもなお挑戦し続ける、という結果を生み出しているのでは?と考えます。

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