「風の時代」ともてはやされている近代ですが、
物質的な流通が広がり貧富の差を無くそうと稼働していた
「地の時代」の影響というのもまだ根強くあり、
その時代が作り上げた良いものをいかに継承していくか、というのも今後の流れかと思います。
「風の時代」で効率化が強くあるものの
時に「地の時代」においての良さを振り返ることもあると思うので。
もくじ
「地の時代」が作り上げた物質が豊かな社会とルーティン

「地の時代」というのは牡牛座、乙女座、山羊座的な要素が社会で強かった時代。
ものを作り、管理して流通する。企業というものができて
階級社会というものが作られて、その規律に沿って運用される社会。
いわゆるルーティンというものが生まれてビジネスが効率化され、
リズムがどうあれ毎日同じことをするシチュエーションが生まれた、そんな時代。
産業は爆発的に発展して経済が回ったが、
大衆は「社会の歯車」として輪廻していた時代とも言えるか。
「地の時代」においては多くの企業、国家が成り立って
指定の服装以外はNG、上の人の言いつけを守りましょう、
など様々な枠組みができて、誰もが豊かに暮らせるように物が流通したり
私たちの生活が格段に便利になった側面を生み出しています。
流通の仕組みもマニュアル化され、
たとえばセントラルキッチンで作られたものをレンチンすれば良いように
レストランの運営をスムーズにして利益を得られるように
アルバイトやパートでもできるよう効率化したり、いわばルーティンができるようになったと言えます。
「地の時代」で培ったものと、失われたもの

物質世界らしい回し方ができるようになった一方、
失われたのは「思考」でしょうか。
決められた型を守ってやっていれば良い、とにかくルールに従う、
その繰り返しで日々を思考停止で生活で生活すれば良い、
というのは良くも悪くも定型化され、ルールを死守させられることに
窮屈さも生み出したと言えます。
毎日スーツ着ていればいい、毎日マニュアル通り生活すればいい
その繰り返しで同じような日常ばかり。
そうした思考停止した現状に楔を埋め込むように「風の時代」になり
「思考」を取り戻す旅路が始まった、と言えるところ。
また「地」の要素に「お金」というものも含まれており、貨幣主義が極まった時代になり、
今もなお、お金というものが人の行動を制限する価値観として君臨し続けています。
お金の問題があちこちで紛糾して、裁判が起こったり
人間関係に亀裂が走ったり、お金というものに振り回される人が増えました。
なんでこんなにお金の問題が起きるのだろう?
というところで「地の時代」の名残は相当なものだと思っています。
地の時代ではヒエラルキーが作られたわけで
権威と呼ばれる人たちが生まれて、お金というものに
あたかもカルマ的なものがあるという価値観を植えつけた、というものなんだろう。
「地の時代」で尊重すべきもの

そういった具合にお金が人の人生を振り回してメチャクチャにしたり
ヒエラルキーというものが窮屈でパワハラのような事件が起きて
権力でそれをもみ消すような、そうした負の側面が際立つ感じではあるが
伝統を「形あるもの」として継承してきたのは「地」のエネルギーであるという事実。
例えば今の時代であればデジタルで済ませるが
お正月には年賀状を送るという風習があります。
デジタルで済むご時世ゆえに、概ね年賀状文化は廃れてきてるのに
日本という国では毎年律儀に年賀状、あるいは喪中の挨拶を送る文化がある。
デジタルで済ませてしまっても良いかもしれないものを
人としての繋がりを物質的なもので繋ぐ、
という文化が残っていることが素晴らしいと私は思います。
また会社とか学校とかのヒエラルキーがガチガチな世界というのは
よく忌避される傾向があるとみますが、
会社のような場所というのは乙女座的な議事録書いたり整理整頓であるとか、
山羊座的な目上の人への礼儀であるとか、仕事の管理やチェックであるとか
現実世界で誰かしらやってくれると
「ありがたい」ことを学ぶ場でもあったりするのです。
道路でカラスが散らかしたゴミが散らかっていても片付ける人がどれだけいるか??
現実世界の面倒なことは誰かが整理してくれるわけでも、
掃除してくれるわけでもないこともままあるでしょう。
会社に入れば下っ端の人間が会議の議事録を書いたり
上の人間のお使い的な感じが非常に忌避されうるところかもしれないのですが。
しかし理想に燃えている集団ほど
議論が空中戦になって過去に何を議論したから忘れたり、
あるいは散らかっている街中をそのままにしたり、
「地」の要素をぞんざいにする傾向も少なくないと思います。
会社のような場所では、会議で何を話したか記録するために
議事録を取ることを義務付けられているから、
グループ活動でできていないことが、会社ではできていたり。
「誰かができるとありがたいこと」というのが個人の集団で中々できなかったりする。
だから、会社などにおけるその面倒さというのが、
むしろありがたいことなのかもしれない、と私は思っています。
総括

いつの時代も廃れるものもあれば、受け継がれるものもある。
風の時代がもてはやされて、地の時代の不便なものは廃れる、
というのは時代の流れではと思います。
しかし同時に大事なものを失してしまう可能性があるものも少なからずある。
良き伝統として形として残っているものを継承するには、
「地の時代」の良い部分を廃れないようにする努力というのも
この「風の時代」ならではのテーマと思います。
